青南プレゼンツ ブルースパワー A-サイド

株式会社青南商事はこの番組の活動を通じて、青森県弘前市のミュージックシーンを応援していきます。

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A-Side 2009年3月20日 ON AIR
『弘前にも縁の深い、いぶし銀のブルーズマン』
☆Eddie Taylor(エディ・テイラー/1923-1985)
今回は先頃P-Vine Recordsからエディ・テイラーの「ライヴ・イン・ジャパン1977 デラックス・エディション」のアルバムがリリースされたので取り上げてみます。
実はこのアルバムがライヴ録音された77年の来日時にエディ・テイラーはこの弘前の地を踏んでいるんです。それは熱心な弘前のファンの方々がお金を出し合って彼を弘前に呼ぼうということで実現したものだったそうです。私は来日のスケジュールを見た時に公演地が東京、京都、大阪、福岡、札幌、名古屋という大都市の中で青森県の弘前が何故入っているのか不思議に思ったことを憶えています。77年12月おそらく雪深かった弘前に彼らはどういう想いを抱いたのでしょう。同じように寒く冷たい風の吹く別名「ウィンディ・シティ」の地元シカゴを想い出したかも知れません。
では、まずはエディ・テイラーを代表するこの曲から・・・・。

1.Bad Boy/Eddie Taylor
この曲は50年代から60年代にかけて大ヒットを連発していたブルーズマン、ジミー・リードの右腕として活躍していたエディ・テイラーが同じレーベルのVJレコードから出したシングルでした。
もう典型的とも言えるシカゴ・ダウンホーム・ブルーズの味わいですね。
アルバムのライナーを担当している小出君が「もはや、こんなトラディッショナル味のブルースを歌ってくれる人はいなくなってしまった」と書いているが、本当に振り返れば最近はシカゴ・ブルーズと言ってもやたらハイテンションなブルーズマンばかりでもうこういうコッテリした味わい深いトラッドなシカゴ・ブルースを歌う人はいなくなりました。
シカゴのこういう部分が受け継がれなかったのは本当に残念です。

2.Going Down Slow/Eddie Taylor
僕が京都で彼を観た時に最初に歌ったのが確かこの曲だった。何故憶えているかと言えば、「アンプの調子が良ければオレはもっといい演奏ができるんだけど・・・まあ、ベストを尽くすけどね」みたいなことを言って不機嫌そうにこの曲を始めたから。
実は一緒に来たギターのルイス・マイヤーズとベースのデイヴ・マイヤーズはこの来日より前74年の「第1回ブルース・フェスティバル」でドラムのフレッド・ビロウとともに「ジ・エイシズ」の一員として来ていた。そのマイヤーズ兄弟とエディ・テイラーの人間関係
がうまくいってない感じでルイスとギターの音量をどんどん上げ合いみたいになってしまってアンサンブルが悪くなってしまったのですが、今回のこのアルバムではそれもいい感じで調節されています。
ミシシッピー出身のエディ・テイラーは幼い頃からロバート・ジョンソン、チャーリー・パットンと言ったディープなミシシッピー・デルタのブルーズを聴いて育った。初めてギターを持ったのが13才の時。
のちにシカゴで再会するジミー・リードとはその頃からの知り合いでエディ・テイラーはジミー・リードにギターを教えてやったという。
これは右腕として活躍していたそのジミー・リードの曲です。そのジミー・リードの大半のレコーディングでギターを弾いていたこのエディ・テイラーですが、もうそれは名職人芸でゆったりとしたシャッフルのグルーヴはこの人なくしてはできなかったと思います。ジミー・リードの録音ではギター・ソロの印象はそんなになかったのですが、この来日の時に意外とアグレッシヴなソロを弾くので驚きました。

3.Signals Of Love/Eddie Taylor
20代のはじめメンフィスで少し活動したあと49年にシカゴにやってきてブルーズ・ハーピスト(ハーモニカ奏者)のスヌーキー・プライヤーやギタリストのフロイド・ジョーンズと演奏を始めた。
53年頃から大ヒットを次々と飛ばすジミー・リードの重要なサイドマンとして活躍し、55年には今日1曲目にOn Airした"Bad Boy"をヴィー・ジェイ・レコードからリリース。その後も"Ride 'Em On Down","Big Town Playboy"などをリリースするがジミー・リードほどのヒットには至らなかった。彼はそのバッキング・ギターの上手さからジョン・リー・フッカーやエルモア・ジェイムズはじめ多くのブルーズマンのバック・ギタリストとして活躍した。初のソロ・アルバム"I Feel So Bad"をリリースしたのは1972年、50才になろうとする時だった。そのアルバムも素晴らしい1枚だが今回は今日On Airした「ライヴ・イン・ジャパン1977 デラックス・エディション」をお薦めアルバムとして挙げました。
次回は今回のエディ・テイラーが右腕として活躍した50年代〜60年代のブルーズのヒット・メイカー、ジミー・リードをお送りします!
お楽しみにHey!Hey!The Blues Is Alright!!

☆今回のお薦めアルバム
Eddie Taylor with Louis Myers,Dave Myers And Odie Payne Jr. Live In Japan 1977 Deluxe Edition(P-ヴァイン・レコーズ PCD-28007〜8)
正確に言うとこのアルバムはエディ・テイラーだけでなく一緒にステージに立ったルイスとデイヴのマイヤーズ兄弟の歌もドラムのオディ・ペインの歌も収録されている。つまり、このコンサートはみんなが歌うレヴュー形式で行われた。ルイス・マイヤーズも素晴らしいギタリスト&ヴォーカリストでそれなりのプライドもあっただろうし、エディの方も「オレが」という気持ちが強く時にあまりコンビネーションがうまく行ってないところもあったが、こういう純シカゴ・ブルーズ・サウンドが日本で記録されたことは貴重だ。しかも隠れたサイドマンとしての評価が強かったエディの歌とギターを目の当たりで聴けたことは更に貴重だった。ちなみに本当はフエントン・ロビンソンが来日する予定だったのが急遽来日できなくなりエディ・テイラーはその代打だったのだ。そういうこともなければこのいぶし銀のブルーズマンは来日してなかったかも知れない。


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A-Side 2009年3月6日 ON AIR
『シカゴ・ゲットーのヒーロー/ジュニア・ウェルズ』
☆Junior Wells(ジュニア・ウェルズ)ウエスト・メンフィス生まれ。1934〜1998ジュニア・ウエルズが物心ついた頃、メンフィスの音楽シーンはまさに活況を呈していた。ハウリン・ウルフやB.Bキング、ビッグ・ウォルターといったブルーズマンたちがしのぎを削っていた。ジュニアは子供の頃にそのメンフィスの大物ブルーズマンのひとりジュニア・パーカー(このサイトでも前に紹介している)にハーモニカの手ほどきを受けている。そして、12才の時にシカゴに移り住みのちに「エイシズ」というグループになるドラムのフレッド・ビロウ、マイヤーズ兄弟たちと一緒にハウス・パーティなどで演奏するようになった。そして、リトル・ウォルターが抜けたマディ・ウォーターズのバンドの後釜ハーピストとしてわずか18才で参加している。いくつかのマイナー・レーベルにシングルをレコーディングしていたが、1965年にデルマーク・レコードからリリースした"Hoodoo Man Blues"が初のアルバムだ。このアルバムが白人のロック・ファンに売れてジュニアはこのアルバムのギタリストを務めたバディ・ガイとふたりでロック・コンサートにもよく顔を出すようになった。今回はその"Hoodoo Man Blues"のアルバムから聴いてみたいと思います。

1.Snatch It Back And Hold It/Junior Wells
勢いよく始まったアップ・テンポの曲。B級っぽいファンク・テイストがカッコいいです。いかにもシカゴのゲットーのクラブという猥雑な感じも醸し出しています。お尻の大きな黒人のお姉ちゃんがフロアで踊っている姿が目に浮かびますね。

2.Hoodoo Man Blues/Junior Wells
何だろうこの音と思う揺れた音は実はギターの音です。実は録音最中にギターアンプが壊れたとかで急遽オルガンに使うレズリー・アンプでギターを鳴らすことになったらしい。ギターのバディ・ガイはこの音が嫌いらしいが、私はとても不気味でユニークでこの曲にもマッチしていると思うが、どうでしょうか?当時、ウエストコーストではサイケデリック・ロックが流行っていてそういう西海岸のロック野郎たちにもこの曲はウケていたそうです。

3.Ships On Ther Ocean/Junior Wells
ジュニアの歌のバックで流れているバディ・ガイのギターがなんとも怪しげでクレイジーでいい。バックはギター・トリオなのでこういうスローになると音のすき間がすごくあっていわゆる「スカスカ」状態だ。
まあ、ロック・バンドのクリームやツェッペリンのように大音量にすればスカスカはなくなるのだが、私にはこのスカスカがたまらない。また、音が埋まっていなくてリズムだけが刻まれているこういうサウンドもひとつブルーズの魅力だと思う。

4.Good Morning School Girl
これはジュニアが影響を受けたシカゴの大先輩ブルーズマン、サニーボーイ・ウィリアムスン(一世のジョン・リー・ウィリアムスンの方)の大ヒット曲だ。「おはよう、可愛い女学生、オレと一緒に帰らへんか?君のおとんとおかんにはオレは学校の友達やって言えばいいやん。
オレの彼女になってくれよ、そしたらダイヤモンドの指輪買うたるわ。
でも、彼女になってくへんのやったら、な〜んも買わへんけどな・・・」というような意味なのだが、一体どういうシチュエーションなのか甚だ理解に苦しむ歌だ。援助交際か?そんなことはないだろう・・・・。

ジュニアは60年代後期から、「ファンクの帝王」J.Bことジェイムズ・ブラウンの影響を強く受けて、かなりファンクっぽいブルーズをやるようになった。その頃のフィルムを観てるとダンスやアクションにもJ.Bの影響が出ている。でも、どこかB級な感は歪めない。そのB級感が面白い、楽しいと思わないとこのジュニアの良さはわからない。私個人としては今回聴いてもらったこの"Hoodoo Man Blues"くらいのファンク・テイストのジュニアが好きです。
1975年にはバディとふたりで来日した。当時バディは38才、ジュニアは40才。脂の乗り切った素晴らしいブルーズを聴かせてくれたが、楽屋ではふたりともずっとポーカーに興じてドル札がテーブルの上を行き来していました。確かジュニアが負けて少しご機嫌ななめでステージに出て行きました。
その後もジュニアは地道にアルバムも出し、ツアー、ライヴも続けていた。アルバムとしては60年代終わりの「ヴァンガード・レコード」から出た"It's My Life.Baby"と"Coming At You"の二枚がいまも私の愛聴盤だ。
1998年にジュニアはシカゴで癌のため64才で亡くなった。亡くなる1年前に私はニューオリンズのフェスでジュニアを観た。前日、同じステージに出ていた盟友のバディ・ガイがあまりブルーズ色のない白人のロック・ファンをやたらと意識したつまらない演奏に終わったのに比べ、ジュニアはロウ・ダウンなスロー・ブルーズとファンク・テイストのダンス・ナンバーが見事に決まった濃いブルーズのステージを見せてくれました。バディほどの成功はなかったがブルーズマンとして最後までスジを通した人だった。

☆今回のお薦めアルバム
Hoodoo Man Blues/Junior Wells(Delmark DD-612   Pヴァイン・レコード PCD-23640)
1965年リリースのこのアルバムがジュニア・ウェルズのデビュー・アルバムだ。このアルバムの大きな特徴は音がスカスカであるが故に醸し出される全体の生々しく、ダークでクレイジーな空気感だ。バックはギターのバディ・ガイにベースのジャック・マイヤーズ、ドラムのビリー・ウォレンの3ピースだ。ジュニアのハーモニカ・ソロが入ると音が少し厚くなるが全体的にサウンドはチープでペラペラ、スカスカだ。このペラペラ、スカスカの音が気に入るかどうかがまずこのアルバムを好きになるかどうかの分かれ目のような気がする。
現在CD化されたこのアルバムのクレジットではちゃんとギター/バディ・ガイとなっているが、発売当初はバディはチェス・レコードて契約していたため名前が出せず、「フレンドリー・チャップ」と変名を使っていた。しかし、誰がどう聴いたってこのギターはバディだけど・・・。このアルバムはジュニアがずっと自分のホーム・グラウンドとしていたシカゴの「テレサズ・ラウンジ」で当時やっていたライヴをそのままスタジオに持ってきたようなものだった。
だからムードは最高です。


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A-Side 2009年2月20日 ON AIR
☆今回のブルーズマン
John Lee Hooker/ジョン・リー・フッカー(1917年〜2001年 ミシシッピー州クラークスディル)
『ブギの王様、ジョン・リー・フッカーはスローブルーズでも王様だ』ジョン・リー・フッカーは、デルタ・ブルーズの聖地とも言えるミシシッピー州クラークスディルの生まれている。クラークスディルはチャーリー・パットンを始め多くの放浪のブルーズマンたちが出入りした地域だ。そこで生まれ育ったジョン・リーは体の髄にまでブルーズが染み込んでいる男だった。
若き日にメンフィス、シンシナティと渡り歩いたがその才能が華開いたのはデトロイトだった。
1948年、デトロイトのストリートやクラブで演奏していたジョン・リーにレコーディングの機会が訪れて、「Sally Mae」とカップリングで録音した「Boogie Chilun」が大ヒットする。この曲は土着的なミシシッピーのテイストとエレキ・ギターによるダンサブルなブギのビートが絶妙にミックスされた曲だ。この曲が同じ南部からデトロイトやシカゴに働きにきていた黒人たちを踊らせると同時に望郷の想いを湧かせたのではないだろうか。
ジョン・リーの魅力はなんと言ってもその乾いた、深い声だ。しゃべっているだけでもブルーズの香りがするすばらしいブルーズ・ヴォイスだ。
ギターは決して多彩とは言えないがオープン・チューニングで繰り出すブギのリズムはワン&オンリーの強力なものだ。
「Boom Boom」のようなブギ・パターンの曲が何曲かヒットして、彼は「ブギの王様」と呼ばれていたが、ドロドロのディープなスロー・ブルーズでの表現も唯一無比。
初来日の時、「ブギの王様」というキャッチ・コピーに寄せられたのか、当時日本で流行っていたビート・バンドが好きそうな若い子たちが会場にたくさん来ていた。呼び込みのMCがありジョン・リーが登場すると「さぁ、踊るぞ」「さぁ、ノりまくるぞ」とばかりに若い子たちが立ち上がったが、登場したジョン・リーの1曲目はドロドロ・スローブルースだった。でも、そのスロー・ブルーズが会場全体を一瞬うちにディープなブルーズのムードに作り上げ、あとはジョン・リーのペースで素晴らしいコンサートとなった。

1.Boom Boom/John Lee Hooker
ジョン・リーは音源がすごい量あるので今回はとりあえず彼のヒット曲、有名曲を少しだけ聴いてもらう。
この「ブーン、ブーン」が僕が初めて聴いたジョン・リー・フッカーの曲だ。確か中学3年頃。でも、ジョン・リーのオリジナルではなくイギリスのロックバンド「アニマルズ」のカヴァーだった。60年代のイギリスはすごいブルーズ・ブームだったが、その中でもこのジョン・リーの人気度は高かったと思う。アニマルズだけでなくスペンサー・ディヴィス・グループ、ヴァン・モリソンのゼムなどこのジョン・リーをカバーしたグループは多い。
ジョン・リー自身も後に「もう、イギリスでは王様みたいにしてもらってね。女の子がキャーキャー言ってオレの乗った車を追いかけてくるんだ。」とニヤつきながら語っていた。

2.Dimples/John Lee Hooker
Dimplesとは「えくぼ」のことですが、「君のほっぺにはえくぼがあるね。そんな君に首ったけ」みたいなラブ・ソングです。ジョン・リーはいろんなレコード会社レーベルに録音を残した人で音源はたくさんあるのですが、今日は「ヴィー・ジェイ・レコード」時代のものを聴いてもらってます。この時代がいちばんジョン・リーのポップなサウンドで、バックもしっかりしていてジョン・リー自身もそれに乗っていいグルーヴを出しています。ジョン・リーの音源、とくにひとりで弾き語りしているものの中には小節数も歌詞も気ままにやっているものもあり、そのドロドロ感もたまらない魅力なのですが、今回はまずサラッとしたとこからです。
このDimplesにはギター名人、エディ・テイラーが入ってます。

3.Sally Mae/John Lee Hooker
これがジョン・リーのデビューとなった1曲です。超クールなミディアム・スローでカッ!カッ!カッという音はジョ・リーのサウンドのひとつの特徴にもなってしまったリズムをとる彼の足音。真冬の寒い深々とした夜にこの曲を初めて聴きました。その時は地獄に引き込まれるような曲だと思ったものです。文句なしにかっこいいブルーズ!

4.I Love You Honey/John Lee Hooker

☆今回のお薦めアルバム
I'm John Lee Hooker/John Lee Hooker(オリジナルVee Jay Records / P-Vine PCD-4293)
これはシカゴの「Vee Jayレコード」から1959年に発表されたジョン・リー・フッカーの初アルバム。55年から64年まで約10年間VJに在籍したジョン・リーだが、たくさんある彼のアルバムの中でもこのVJ時代がいちばんポップでとっつきやすいと思います。このVJ時代はギターのエディ・テイラーを中心としたバック・ミュージシャンたちが充実しており、アレンジもしっかりなされている。"このアルバムからはアップ・テンポのDimples"や"I Love You Honey"がヒットしているが、弾き語りの"Crawlin' Kingsnake"や"Hobo Blues"のような曲もジョン・リーにしか表現できないディープなブルーズで見事というしかない。背筋が寒くなるようなこのジョン・リーのブルーズのムードにやられたら当分の間、ジョン・リーから離れなくなる。聴くしかない名盤中の名盤だ。




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A-Side 2009年2月6日 ON AIR
☆Junior Parker(ジュニア・パーカー/本名ハーマン・パーカーJr.  1932〜1971)
『キング・オブ・モダンブルーズ・シンガー〜ジュニア・パーカー』
ジュニア・パーカーは歌いながらハーモニカも吹くが、基本的にはいわゆる「スタンダップ・シンガー」(楽器を何も持たないで歌だけ歌うシンガーのこと)だ。「スタンダップ・シンガー」と呼ばれるボビー・ブランドやこのジュニア・パーカーがアメリカ(とくに黒人コミュニティ)、そしてイギリスなどではとても評価が高いのに我日本ではまるで人気がない。
以前にも言ったかも知れないが、その大きな理由はギターを弾かないからだ。我が国では残念なことにギターを弾かないブルーズマンは人気がない。人気があるのはギタリストのブルーズマンばかりだ。だから来日するブルーズマンもギタリストがほとんどである。ブルーズの中にはハーモニカを吹く人もピアニストもそして、楽器を弾かないヴォーカルだけのブルーズマンもたくさんいるのに・・・これは完全にブルーズという音楽に対する日本人の認識不足、勘違いから来ている。
ギターは確かにブルーズという音楽の中で重要な楽器ではあるが、ブルーズはギター・ミュージックではない。強く言いたい-「ブルーズはヴォーカル・ミュージック」だ。60年代のベンチャーズからの日本人の悪癖だと僕は思っているのだが(ベンチャーズが悪いわけではない)、ギター偏重の傾向はブルーズにもあり、歌を歌わないでブルーズのギターだけ弾く人がかなり多い。
例えば日本のいろんなライヴハウスでやっているブルーズのセッションでも、何人も何人もギタリストが出てきて歌を歌わないで延々とブルーズのギター・ソロだけを弾く。それが理由で私はブルーズ・セッションというのが嫌いになった。
そういうギター偏重の流れを是正するためにもこのジュニア・パーカーを聴いてもらいたい。
想い出せば、アメリカではB.B.キングと双璧の超一流ブルーズ・シンガーであるボビー・ブランドが来日した時も客入りは信じられないくらい少なかった。ブランドがギターを弾かないからだ。
ジュニア・パーカーは幼い時にラジオから流れてきたサニーボーイ・ウィリアムスン(ライス・ミラー)の影響でハーモニカを吹き始めた。
16才の時にはラジオで聴いていたサニーボーイ自身からバンドへの参加を依頼されることになった。その後ハウリン・ウルフのバンドに入りツアーを続け、徐々にその卓越した歌唱力が話題になりメンフィスのサン・レコードで"Feeling Good"や"Mystery Train"といった素晴らしい音源を残したが、一躍名を知られることになったのは「デューク・ピーコック・レコード」と契約してからだ。そのデュークからリリースされた曲はすべてが素晴らしく、あっと言う間に黒人コミュニティではボビー・ブランドと並ぶ大スターにのし上がっていった。しかし、若き日にサニーボーイ、ウルフの下で培われた彼の深いブルーズ・テイストは大スターになっても消えることはなかった。

1.Next Time You See Me/Junior Parker
私はジュニア・パーカーのことを勝手に「ブルーズ界のサム・クック」と呼んでいる。前述したようにモダン・ブルーズ・シンガーとしてはボビー・ブランドと双璧の歌の上手いシンガーだが、ブランドの歌はどこかゴツゴツした感じがあるがパーカーの歌は本当にスムースだ。あまりにスムースで簡単に聴こえてしまうのだが、自分で歌ってみるとこれが実に難しい。この歌は私もカヴァーしているがなかなか届かない。
「次にオレに会う時は同じじゃないぜ」と男らしく決めるこのブルーズはパーカーの代表的な曲でいまもたくさんカヴァーされているスタンダード。
2.Driving Wheel/Junior Parker
ジュニア・パーカーの歌の力が十二分に発揮されているブルーズの名曲だ。パワー、テクニック、声域、声質、ダイナミズム、グルーヴ感、そして説得力どれをとっても非の打ち所のない素晴らしい歌唱だ。また、ブルーズをこんなにメロディックに歌えるシンガーもいない。
3.Seven Days/Junior Parker
この曲はブルーズというよりはサム・クックなどに近いリズム&ブルーズだ。パーカーはこういう歌も歌いこなせる技量を持っていた。
アップ・テンポの強力なダンス・ナンバーでバックの盛り上がりと呼応するようにファルセットのシャウトでテンションが上がっていく歌唱は絶品だ。

4.Cryin' For My Baby/Junior Parker
この曲ではパーカーのハーモニカを聴くことができる。不思議なのはホーン・セクションが入ってモダンな曲調なのにダウンホームなパーカーのハーモニカの音が見事に溶け合っていることです。パーカーはモダン・ブルーズのシンガーですが、どこかに土着的なものが残っている人です。後期にはブルーズ以外の曲も歌った人ですが、やはりどこかにブルーズのテイストがある人だった。

「デューク・ピーコック・レコード」ではしっかりしたアレンジの元、ホーンを入れたゴージャスなサウンドがパーカーの歌によく合い"Next Time You See Me""Driving Wheel"などのヒットを飛ばして一世を風靡した。
50年代中頃は同じデューク・レコードのボビー・ブランドと「ブルーズ・コンソリディテッド」というパッケージ・ショーを組んで中西部、南部を盛んにツアーし、ふたりは黒人サークルで人気を二分していたが、その頃のふたりのステージを思い浮かべるだけで胸が熱くなる。
60年代後期にはマーキュリー、ブルーロックといったレーベルでビートルズのカヴァーなどを含んだアルバムを出していたが、71年に脳腫瘍で39才という若さで亡くなりました。
よく来日する黒人ミュージシャンに「私はブルーズが好きでブルーズを歌っているんだ」というと、よく「君はジュニア・パーカーを知ってるかい。最高のブルーズ・シンガーだよ」と絶賛する声を聴く。スマートでスウィートでありながらディープなブルーズを歌ったパーカーはブルーズというジャンルを越えて多くの黒人ミュージシャンにリスペクトされていたのだと思う。

☆今回のお薦めアルバム
Junior's Blues(The Duke Recordings vol.1)/Junior Parker
(MCA  MVCM-397)
これはかって日本のMCAビクターからThe Duke Recordings vol.1とvol.2として発売されていたアルバムですが、現在、残念なことにジュニア・パーカーの日本盤はレコード店では見かけません。だから中古盤屋、またはネットなどで探してください。ビクターさん、まだ発売権もっていたら是非再発してください。
このアルバムには53-64年までデューク・ピーコック・レコーズに残したジュニア・パーカーの代表的な曲が18曲収録されている。是非、上質のブルーズ・ヴォーカルをこのアルバムで堪能してください。

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A-Side 2009年1月23日 ON AIR
☆Jimmy Rogers(ジミー・ロジャース1924-1997)
ジミー・ロジャース(本名ジェイムズ.A.レイン)は1924年ミシシッピー州ルールヴィルに生まれている。
ロジャースは1939年頃にミシシッピーからシカゴへやってきたが、まだシカゴだけでは思うように稼げなかったのか、メンフィス、セントルイスなどでも活動していて本格的にシカゴに定住したのは1945年頃。
歌はもっちゃりしていて田舎臭いダウンホームな味わいだし、ギターもバディ・ガイやオーティス・ラッシュのようなスクゥィーズする派手なスタイルではないのでこの人の良さは見逃されがちだが、このジミー・ロジャース抜きで50年代黄金のシカゴ・ブルーズは語れない。そして、シカゴ・ブルーズを代表する親分マディ・ウォーターズの偉業もジミー・ロジャース抜きでは語れない。
とにかく、一度このロジャースの良さを知ってしまうと、なんとも塩こんぶのようなその深い味わいに虜になってしまう人も多い。

1.That's Alright/Jimmy Rogers
50年代の偉大なシカゴ・ブルーズを作り上げたブルーズマンの一人、ジミー・ロジャース。そのジミー・ロジャースと言えばこの曲と言われるくらい有名な彼の代表曲。1950年のチェス・レコードでの録音でドラムはなく、リトル・ウォルターのハーモニカとビッグ・クロフォードのウッドベースとロジャースの歌とギターという3人編成だ。
「オマエは昔言ったことがあったよね。もしオレがオマエのものならオマエもオレのものだと。でも、いいよ、オマエが他の男にホレてしまっていてもいいよ。オレはオマエが今夜誰といちゃついているのかってずっと思っているよ。」と、女への不信のブルーズ。イントロのギターからの入り方などもシカゴ・ブルーズの定番となっている。
マディのバンドで活動しながらも、自己のシングルも出しつづけていたロジャースの最初のヒットがこの"That's Alright"。この曲はまだ設立間もないチェスレコードにとっては、初期の大ヒットで会社を存続していくための大きな力となった。その後もロジャースは、"LastTime"や"You're The One","Chicago Bound","Walking By Myself"などのちにブルーズ・スタンダードとなる曲を次々に録音していった。

2.Walking By Myself/Jimmy Rogers
1曲目の「That's Alright」とともにシカゴ・ブルーズ、いやブルーズの歴史的な代表曲でいまもたくさんの人たちに歌い継がれている定番曲。ベースにウィリー・ディクソン、ピアノにオーティス・スパン、ドラムに(たぶん)フレッド・ビロウ、ハーモニカにビッグ・ウォルター・ホートン、そしてロジャースの歌とギターという黄金期シカゴ・ブルーズの編成による素晴らしいプレイが聴ける。
僕にとっては一緒にバンド(BLUES POWER)をやっていた故浅野祥之君が歌っていた思い出の1曲でもある。

3.Sloppy Drunk/Jimmy Rogers
「Sloppy Drunk」とはへべれけに酔っぱらうことだが、演奏は千鳥足ではなく素晴らしくグルーヴする軽快なシカゴ・ビートだ。上の2曲目のレコーディング・メンバーのハーモニカのビッグ・ウォルターがリトル・ウォルターに替わっただけであとは同じメンバー。このメンバーがそのままマディ・ウォーターズを代表とする「50年代のシカゴ・ブルーズ」と呼ばれるブルーズを作り上げたのだった。
60年代に入ると音楽活動を停止しタクシーの運転手などをしていた時期もあったが、60年代末に復活して70年代にはシェルター・レコードからの"Gold Tailed Bird"(72年)、そして85年には素晴らしい"Feelin' Good"なども発表してきた。
彼のソロ以外では特にロジャーズが参加している50年代のマディのアルバムも是非聴いてもらいたいのだが、マディとロジャーズの2本のギターの絡み方はギター・ブルーズのサウンドの作り方の教科書のようなものでローリング・ストーンズのサウンドの元はここにあると私は思っている。それはイコール、ロック・ギター・サウンドの源でもある。

4.You're The One/Jimmy Rogers
典型的なシカゴ・ブルーズ・サウンドです。どこにも無駄のない、そして隙のない完璧なサウンドでブルーズを演奏したいと思う人は一度はこの曲をやった方がいいと思います。ただし、ちゃんとバンドを組んで固定メンバーで練習しないと、セッションでやるとただの「なんちゃってブルーズ」になってしまいます。すぐにやれそうでなかなか出来ない1曲です。ブルーズバンドの素晴らしいお手本です。
1998年にはストーンズのミック・ジャガー、キース・リチャーズ、そしてエリック・クラプトン、ジミー・ペイジなど有名ロック・ミュージシャンが参加したアルバム「ブルース、ブルース、ブルース/ジミー・ロジャース・オールスターズ」がリリースされ評判になったが、前年の12月にガンにより73才の生涯を終えてしまった。これからもうひと華という時だっただけに残念だった。そのアルバムに参加したミュージシャンたちの名前を見ただけでも彼がブルーズそしてロックに与えた音楽的影響の大きさがわかろうというものだ。
ジミー・ロジャーズ聴かなくしてブルーズを語るなかれ。
ひとつご注意!有名カントリー・ヒルビリー・シンガーに同名のジミー・ロジャースさんがいますが、間違えないでくださいね。そちらのジミー・ロジャースさんも偉大な人です。

☆今回のお薦めアルバム
シカゴ・バウンド/ジミー・ロジャース  (MCA UICY-3432)
今回On Airした曲はすべてこのアルバムに入っている。ブルーズの名盤の一枚!だ。ロジャースが50年代にチェス・レコードで発表したシングルを集めたものだが、このアルバムがリリースされたのがなんと1970年。遅すぎるだろ!チェス!もっと早くこの偉大なブルーズマンのアルバムが出されていれば彼が60年代に音楽活動を休止することはなかったかも知れない。ブルーズ系のロック・ミュージシャンの間では早くからロジャースは高い評価を得ていたがアルバムも出ていないのでは一般への浸透は難しい。それでも、このアルバムの1曲1曲は本当にブルーズの教科書のようにルーツそのものである。しかも、その歌声やギター・スタイルが「いなたい」割に(失礼!)曲はモダンでポップなのだ。その田舎臭さとモダンなところが混ざった微妙なテイストもお楽しみください。


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A-Side 2009年1月3日 ON AIR
☆J.B.Lenoir(J.B.ルノアー/1929〜1967)
1929年 ミシシッピー州モンティセロ生まれ子供の頃、お父さんにギターを教えてもらったルノアーは10代から南部を転々と働きながら演奏して放浪していた。
そして1949年、20才の時にブルーズマンとして一旗上げようとシカゴに向かう。最初可愛がって面倒を見てくれたのは、マディの面倒も見た優しい大先輩のビッグ・ビル・ブルーンジーだった。そして、その特異な才能が認められてすぐにクラブ・シーンの人気者になり、51年にはJOBレコードで初録音し彼の有名曲のひとつとなった"Let it Roll"などが残された。その後、パロット・レーベルに在籍した後チェス/チェッカーに移籍。
そのチェッカーからリリースされた2枚組のアルバム「NaturalMan」、それが初めて私が買ったルノアーのアルバムだった。しかし、最初は彼のやたら高い歌声と数曲でドラムのスネアーが裏返り気持ちの悪いビートになってしまうのに耐えられず何年もレコード棚に放置したままだった。それがある日、ルノアーの歌詞を読んでいたら「ああ、この人ってこんな人だったんだ」って思い直して再び聴き始めたらもうハマってしまった。
彼は心優しい、繊細な、そして反骨精神のある正義漢でした。
その後も小さなレーベルにいくつか録音しているが、後年2枚ヨーロッパでリリースされたアルバムがいまは「ベトナム・ブルース」というタイトルで1枚になって発売されている。それも素晴らしいので機会があったら探してみてください。ちなみにそのアルバムは政治的という理由でアメリカでは発売されなかったものです。

1.Slow Down/J.B.Lenoir
これは私がブルーズに惹かれ始めた頃、よく聴いていた"American Folk Blues Festival 1963-1966"というコンピレーション・アルバムに収録
されている曲。
高い声で歌われる美しい8小節のブルーズ・バラードに最初女性かと思った。
Slow Downとはスピードを落としてくれという意味。この曲では彼女を列車に喩えて「君の列車に乗りたいからもっとスピードを落としてくれよ」と歌っているのですが、性的な意味あいもありの曲だと思います。
でも、いやらしくならないところがこのルノアーの人間性ですね。

2.I Feel So Good/J.B.Lenoir
このJ.B.ルノアーは1曲目のようなゆったりした曲もすごくいいのですが、こういうアップテンポの曲にも独特の疾走感があって素晴らしいです。
こういうアグレッシヴな曲でも鋭角的にはならず、どこかにほんわかとしたテイストを感じるのもルノアーの人柄でしよう。ルノアーのこの曲と"Mojo Boogie"を自分のバンド「blues.the-butcher-590213」のアルバム"Mojo Boogie"に収録できたことは、ブルーズを歌う者として大きな誇りでした。

3.Alabama/J.B.Lenoir
J.B.ルノアーは政治的なことをダイレクトに歌った希有なブルーズマンでした。「ベトナム・ブルーズ」では当時のベトナム戦争に対して反戦の意を表し、また「アイゼンハワー・ブルーズ」では当時のアイゼンハワー大統領を揶揄したとしてこの曲は発売禁止になりました。
彼はとても温かい人柄で優しい人でした。そういう優しい性格が彼の中の正義感を押し上げて戦争や貧困、人種差別について歌わざるを得なかったのでしよう。
「Born Dead」という曲では「黒人として生まれた赤ん坊は生まれながらにして死んだようなものだ」と人種差別を糾弾し、「ベトナム・ブルーズ」ではいつも平和を唱えているだけの大統領を非難し戦争を終わらせてベトナムに行っている兄弟たちを助けてくれと言い、この「アラバマ」では人種差別と貧困に苦しむアラバマを本当は好きなのにいつまでもひどい状況下のあまりアラバマは嫌いだと歌っている。

4.Mojo Boogie/J.B.Lenoir
ルノアーは若い頃ニューオリンズにしばらくいたのですが、その時のことでしょうか。「ニューオリンズにいたんだ。とっても素晴らしい時を過ごしたんだ」と、楽しかった時のことを歌っています。この歌が私は大好きで歩いている時に小さな声で歌ってることもあるほどです。元気になります。
60年代、ヨーロッパでの評価も高まり新しいスタートを切ったルノアーでしたが、1967年交通事故に遭いあっけなく亡くなってしまいました。
享年38才という若さでした。
ブルーズという音楽は酒や恋愛やお金のことばかり歌っていると思っている方々、政治や社会のことも強い意志をもって歌ったルノアーを是非聴いてみてください。
もうひとつ、2004年に日本でも公開されたマーティン・スコセッシ総監督の「ブルース・ムーヴィ・プロジェクト」の7本の映画の中のひとつ、「ソウル・オブ・マン」(監督ヴィム・ヴェンダース/発売元 日活)に素晴らしいルノアーの映像が出てきます。
そんなに長くはないですが、ルノアー本人がギターを弾いて歌い、そして少し話している姿を見ることができます。それだけで彼の人柄がわかると思います。

☆今回のお薦めアルバム
The Mojo/J.B.Lenoir(Pヴァイン  PCD-24161)
ルノアーがJOB,USA,Vee Jayと3つのレーベルに残した音源をまとめたもので、日本盤でたぶんいま一番入手しやすいのではないかと思う。
先ほど書いたように彼の高い声に最初戸惑う人たちがかなりいるけどハマると絶対ぬけられなくなります。ブギのノリも最高だし、彼の声に優しさや温かみを感じると思います。心優しい社会派ブルーズマン、J.Bルノアーを是非聴いてみてください。

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A-Side 2008年12月26日 ON AIR
☆James Cotton(ジェイムズ・コットン)
昨年(2010年)東京ビルボードにやってきたジェイムズ・コットンを観に行った。
コットンは10年ほど前から喉を患いここ数年はステージでほとんど歌わない。歌はバックバンドのメンバーが歌い、コットンはハーモニカだけを吹くというステージだ。かっての豪快な歌声を知っている者としては少し淋しい気がしたことは確かだ。ステージにも人の手を借りないと上がれないし、ステージ上でも椅子に座ってのライヴだ。曲の合間に少しMCをやりメンバー紹介をするのだが、その声さえ潰れていてしっかり聞き取れない。もちろんハーモニカのプレイも全盛期のパワフルさはない。だが、ステージ上のコットンのプレイは手抜きなどない現在の力をすべて出し切ったとても真摯なものだった。そして、スローの曲ではいままで聴いたことのないような、生まれた南部のサザン・ハープを思わせる牧歌的なプレイをしみじみと聴かせてくれた。やはり懐は深かった。年老いたがブルーズマンとしての気骨を見せた立派なステージだった。
1935年ミシシッピー州 チュニカ生まれ。
ジェイムズ・コットンは子供の頃ラジオから流れてきたサニーボーイ・ウィリアムスンのブルーズに強い影響を受けて、9才で家を出て弟子入りしたという。9才と言えば小学3年生だ。小3の頃の私と言えば、近所の駄菓子屋に入り浸り、野球や蝉取りに夢中になり勉強もあまりしない子供だった。その小3に家出して弟子入りか・・・。
コットンがメンフィスに出てきて最初の録音が1953年のサン・レコードでのシングル。この時18才だ。そして、メンフィスに演奏に来たシカゴ・ブルーズのボス、マディ・ウォーターズに引っ張られてシカゴへ。その後約10年間、マディ・バンドのメンバーとして活躍する傍らレコーディング・ハーピストとしても活躍し自己名義のアルバムを出す。
しかし、一段とその名前が上がったのがアルバム「100%Cotton」のリリースだった。このアルバムがリリースされた1974年頃、黒人音楽の主流はニュー・ソウル、ファンクになり、ブルーズ・シーンは低迷していた。その時期にパワフルで、アップ・トゥ・デイトなサウンドとビートが満載の「100%Cotton」は実に新鮮なブルーズだった。

☆今回のOn Air曲
1.Boogie Thing/The James Cotton Band
今日の1曲目は「かっこいい」のひと言で始まるこの「ブギ・シング」から。これは伝統的なジョン・リー・フッカーのブギのリズム・パターンを使い、ジェイムズ・コットン・バンドがそれに新たな息吹を与えてヴィヴィッドなブギ・ナンバーとして生き返らせたもの。アルバム「100%Cotton」の1曲目に入っているのだが、初めてレコードの針を落とした時あまりのかっこ良さにしばし呆然としたものだ。イントロから始まる2拍3連、そしてその後メンバー全員で「Boogie Thing〜」と歌う男っぽさ。いゃ、かっこいい!そしてその後は怒濤のブギのグルーヴが続く。ジェイムズ・コットンではなくジェイムズ・コットン・バンドと名乗っているがまさに「バンド」的結束を強く感じさせる曲だ。

2.One More Mile/The James Cotton Band
もう一曲、どかぁ〜んと聴いてもらいます。これはコットン自身が歌っていた古いブルーズを16ビートによって再生させたもの。トラッドなブルーズを下手にアレンジすると失敗することの方が多いが、これは成功した希有な例。こういうアレンジが成功した大きな理由のひとつは、リズム隊である若いドラムのケニー・ジョンソンとベースのチャールズ・キャルミーズの繰り出す新しいグルーヴと、オーセンティックなブルーズの要素を外さないマット・マーフィのギター・ワークがマッチしたからだ。

3.Rocket 88/The James Cotton Band
このアルバムの大きな要はギターのマット・マーフィが繰り出しているシャープでファンキーなリズム・ギターだ。実際、バンドの名前はコットン名義だがマーフィはこのバンドのバンドマスター的存在でアレンジ、選曲に深く関わっていた。彼の存在なくしてファンキーとトラッドを併せ持ったこのバンドはなかったと思う。
彼の名前はかの「ブルーズ・ブラザーズ」のメンバーでもあったので知っている方も多いと思う。そのキャリアの初期にはハウリン・ウルフのバンドに在籍し、その後シカゴでメンフィス・スリムの右腕として活躍。メンフィス・スリムがフランスに移住してしまったあとはシカゴのチェス・レコードなどでスタジオ・ミュージシャンとして名前を上げた職人的ギタリスト。まさにブルーズ・ギターの達人の一人だ。
この曲"Rocket 88"は1951年に「アイク・ターナー&ザ・キング・オブ・リズム」がジャッキー・ブレストンという歌手名義で大ヒットさせた曲で、ブルーズとロックンロール史上とても重要な曲。
ロックンロールが発生した最初の1曲とも言われている。
実は1975年に、つまりアルバム「100%Cotton」が
リリースされた翌年にアルバムとまったく同じメンバーでのコットンのライヴを私はカリフォルニアで観た。最初、ギターのマット・マーフィーをフィーチャーしたインストを2曲ほどした後、コットンが長いシールドを使って楽屋からハープを吹きながら登場。そこからはもう嵐のような強烈な演奏の連続で最後はハープを口に叩き付けるコットンの口から血が流れていた。プロレスじゃないんだから・・・・。当時最高に脂の乗っていたこのコットン・バンドのライヴを観れたことは
幸運だった。

☆今回のお薦めアルバム
100%コットン/The James Cotton Band (Universe UV 098)
1974年リリースのブルーズ史上画期的なアルバム。いわゆる「ファンク・ブルーズ」と呼ばれるジャンルのブルーズの代表的なアルバムだ。
しかし、いまでこそ評価の高いアルバムとなったがこのアルバムがリリース当時、保守的なブルーズ・ファン、評論家連中にコテンパンにやっつけられたのを私は忘れない。16ビートを使っているからとかなんとか訳の分からない理由でこきおろされたのだ。当時私がウエストロード・ブルーズバンドでいち早くこのアルバムのカヴァーをやったところファンの一部から「なんであんなブルーズやんの?」と言われたこともある。私はひとこと「かっこええからや」と言った。実際、本当にいま聴いてもかっこいい。こういうかっこ良さでブルーズに親しんでくれる若い人も多い。なにもロバート・ジョンソンやチャーリー・パットンだけがブルーズじゃない。これは1970年代中期の最もアップ・トゥ・デイトなブルーズ・アルバムだったのだ。

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A-Side 2008年12月12日 ON AIR
☆Howlin' Wolf(ハウリン・ウルフ)
ここのところこの番組の私が担当のSide Aに登場するブルーズマンの名前というか芸名(あだ名)がすごい人ばかりでしたが、今回もまた強力な名前です。
ハウリン・ウルフ、つまり「吠える狼」ですよ。本名はチェスター・バーネットというどこか品を感じさせる名前なんですがね。
しかし、その名前のように彼の歌うブルーズは強烈で誰でも一度聴いたら忘れられないインパクトがあります。しかし、インパクトが強すぎて最初なかなか好きになれない人もいるようですが、このハウリン・ウルフこそ後続の黒人だけでなくイギリスのローリング・ストーンズやジム・モリソン、そしてドアーズなど60年代のロックバンドにも強い影響を与えた偉大なブルーズマンなのです。
1910年ミシシッピー生まれ。かの伝説のブルーズマン、ロバート・ジョンソンとほぼ同じ年代です。ミシシッピーにいた頃からデルタ・ブルーズの創始者と呼ばれるチャーリー・パットンやサン・ハウスにくっついて旅をし、ロバート・ジョンソンやサニーボーイ・ウィリアムスンとも若き日に放浪の旅に出ていた。それだけでもわかるようにもう体中すべてがBLUESのような人だとわかる。
とくにデルタ・ブルーズの巨人チャーリー・パットンの影響はその唱法ほか彼の音楽性に色濃く感じられる。

1.Rockin' Daddy/Howlin' Wolf
このRockin'のRockという言葉には、音楽的なリズムがグルーヴする意味やダンスする意味と同時に性的な意味(SEXそのものと言ってもいいのですが・・)がありますが、この歌はまさにそのふたつの意味をもってます。Daddyは「とうちゃん」ですが、この場合は「男」「野郎」っていうことですね。つまりロックする野郎。
「みんなはオレのことロッカーって呼ぶんだよな。そう、一晩中オレはロックできるぜ」と、ひとつの意味としてはHを自慢している歌ですね。
まあ、一度聴いたら忘れられない暴力的とも言えるパワフルな、ざらついた歌声です。私はこの声を初めて聴いた時、それまで聴いたことのないような歌声だったので頭をゴン!と叩かれたような思いがしました。
きれいな歌声というところからはほど遠いダミ声は、きれいごとでは済まないブルーズという音楽の内面を表しているようでもあります。
しかし、声のワイルドさゆえに大ざっぱな人かと思いきや、彼が作る詞や曲はなかなかに繊細です。その話はまた後日に。

2.Back Door Man/Howlin' Wolf
またまたHな歌です申し訳ないですが・・・。
「男たちは知らないけどね、女たちはみんなわかっている。オレがバック・ドア・マンだって」という歌なんですが、バック・ドア・マンって直訳すると「裏口男」ですが、要するに「間男」のことです。旦那とか彼氏がいない間に裏口から入って情事してしまう男のことですね。
ブルーズに限らずアメリカのソウルやロックにはこの手の歌がかなりあります。アメリカの映画やドラマでも女房が他の男を家に引き入れて情事しているところに旦那が帰ってきてしまうというシーンが多々あります。その逆もよくありますが・・。現在、日本でも「貞節」とか「貞操」という言葉は死語に近くなっていますが・・・。それにしても、「オレは裏口男だぁ」と歌にしてしまうところがアメリカというかブルーズはすごい!です。
ミシシッピーあたりを放浪した後、40年代に入ってからメンフィスに腰を下ろした。
初レコーディングが1951年ですでに40才を過ぎていた。
40才で初録音なんてほとんどいまでは考えられないことですが、プロになるという意識がなく田舎の酒場などで週末だけライヴをやっていた黒人ブルーズマンの中にはそういった遅咲きの人が結構います。
その初録音をしたメンフィスの「サン・レコード」にもウルフは素晴らしいブルーズを残していますが、52年から亡くなるまではずっとシカゴの「チェス・レコード」からシングル、アルバムを出し続けました。今日聴いてもらっているのもそのチェス録音のものです。そして、チェスから出した録音からヒットがたくさん生まれ、その中のいくつかの曲は現在でもブルーズのスタンダードとして歌い継がれています。

3.Louise/Howlin' Wolf
ウルフの歌も素晴らしいのですが、ウルフのブルーズをずっと後ろで支え続けたギタリストのヒューバート・サムリンの切れ味最高のギターが聴けるのがこの曲。
ウルフはミシシッピーの香りがする土着的な力強い歌がウリだったが、サムリンのギターはB.B.キング・スタイルのモダン・ブルーズ・ギター。しかし、このふたつがうまく合体したところでウルフの独自のブルーズ・サウンドが出来上がったと言えます。ちなみに60年代にイギリスのエリック・クラプトン、ストーンズのリズム隊であるチャリー・ワッツ、ビル・ワイマンたちロック・ミュージシャンとコラボしたアルバム「ロンドン・セッション」を録音した時も、右腕のヒューバートだけは連れていったウルフでした。
ステージではスクーターで登場したり、股ぐらをつかんでニヤニヤ笑ったり、ステージを這い回ったりかなり破天荒なパフォーマンスをした人ですが、インタビューや彼の自伝「ハウリン・ウルフ/ブルースを生きた狼の一生」(P-Vine Books刊)を読むと理性的で知的な人だったことがわかります。時代の流れに流されていくブルーズマンも多い中、彼は一徹な人で最後のアルバムとなった「Back Door Wolf」までしっかりと芯の通ったブルーズをやり続けた人でした。
また、彼の曲が多くのロック・ミュージシャンにカヴァーされたのも大きな特徴です。
クラプトン在籍のクリームは"Sittin' On Top Of The World"と"Spoonful"、ドアーズは"Back Door Man"、ジミ・ヘンドリックスは"Killing Floor"、ローリング・ストーンズは"The Red Rooster"と、ブルーズ系ロックバンドは必ずと言ってよいほどウルフの曲をカヴァーしている。それほどウルフの曲には魅力がある。
アーシーな魅力をたっぷり含みパワフルにグルーヴし、ギター・サウンドとしてもかっこいい。そして、ウルフやウィリー・ディクソンの書いた曲と詞が素晴らしいからだ。私も自分のバンド"blues.the.butcher-590213"のアルバム「Spoonful」で"Spoonful""Sittin' On Top Of The World""Killing Floor"の3曲をカヴァーしたくらいウルフは大好きてす。
彼の勇姿を観たい方はDVD「Howlin'Wolf/ヴィンテージ・ライヴ 1970」(Pヴァイン PVDV-39)を買い求めてください。目が飛び出ます!!!
最後にウルフの人間性がよくわかる話をひとつ。
ブルーズマンの中にはその日暮らしのような生き方をする人が多いのですが、ウルフは自分のバンドのメンバーがバンドがなくなっても生活に困らないようにみんなのギャラから少しづつ保険用に貯めていた人でした。

☆今回のお薦めアルバム
The Real Folk Blues/Howlin' Wolf (Chess     MCA UICY-3434)
これは50年代と60年代のチェス・レコードでのシングルを集めたアルバム。名曲「Killing Floor」も収録されている。中身も充実しているが私はこのジャケ写が大好きだ。亡くなった私の母方の叔父を想い出させるこのウルフの笑顔は叔父がお酒を飲んでごきげんになった時の顔に似ている。素敵な笑顔だ。
このアルバムは1966年にチェスからリリースされたものだが、これ以前に出された「Moanin' In The Moonlight」と「Howlin'Wolf」という2枚のアルバムも歴史的な名盤。



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A-Side 2008年11月28日 ON AIR
☆Hound Dog Taylor(ハウンド・ドッグ・テイラー)
この前のゲイトマウス・ブラウンのゲイトマウス(大口)というあだ名もすごいですが、このハウンドドッグも猟犬ですからね・・・。写真をみてもらえると猟犬という感じも確かにあります。まあ、犬顔ですね。本名セオドア・ルーズヴェルト・テイラーと立派な名前があるのに猟犬ですから、親も泣きますよね。
1917年にミシシッピー州ナッチェスというところで生まれています。
子供の頃からミシシッピーの農場で働きながら近所の酒場で歌ってましたが、多くの南部のブルーズマン同じように小作人として働くのがイヤになってシカゴに出ていきました。
彼は40年代からずっとシカゴのストリートでそしてゲットーのバーで同胞の黒人たちに向けてワイルドでパワフル、そしてパンキッシュなブルーズをプレイし続けていました。しかし、長い間レコーディングには恵まれなかったのですが、彼はとにかく毎晩のようにライヴを続けました。そして、彼の初めてのアルバムが世に出たのは1971年。彼が54才の時。完璧に「おっさん」です。
しかし、このおっさん、ただもんじゃない。ベースなし、ハウンドドッグのギターともうひとりのブリューワー・フィリップスのギター、そしてテッド・ハービーのドラム、「ハウスロッカーズ」と呼ばれるこの三人から打ち出されるブルーズは体がのけぞってしまうほど荒々しく、リアルで強烈でした。そのへんのパンク・ロックなんぞ目じゃないです。
このハウンドドッグのブルーズにはブルーズにとって最も大切な心のリアルな衝動が混じりものなしでストレートに感じられます。ビートは常に躍動し歌は心の底から吹き上がっています。
エルモア・ジェイムズ直系のワイルドなスライド・ギターの音を持ち味とするハウンド・ドッグは決して器用な人ではないのがわかります。スライドのピッチがずれることもままあります。歌も上手さで売っている人ではないのですが、この人のブルーズは一度聴いたら忘れられなくなるくらい強烈です。
僕は彼のライヴを一度も観ることができなかったのですが、シカゴのクラブでウィスキーをストレートで飲みながらこのハウンド・ドッグのブルーズで踊り狂いたかったと思います。1975年没。

1.Wild About You,Baby/Hound Dog Taylor
ハウンド・ドッグ・テイラーはこの番組で以前特集したことのあるスライド・ギターの名人、エルモア・ジェイムズ直系のブルーズマンでエルモアの弟子筋にあたります。
この曲もエルモアのカヴァーですが、のっけの強烈なスライド・ギター・サウンドを聴いた僕の友達のひとりは「これって、ギターの音?」と言いました。はい!紛れもなくブルーズ100%のスライド・ギターの音です!

2.It Hurts Me Too/Hound Dog Taylor
相当な音量のギターふたつのからみで始まるこの曲、思わず「おおっ!!」と笑みがこぼれます。ベースのいないドラムとギター二本のサウンドはかなりチープですが、時にジミ・ヘンドリックスのロックを感じさせるのは何故でしょうか。
これもエルモアのカヴァーで「自分の好きな女が他の男を好きで、その男が彼女を大切にしないのに心を痛めている」というつらい歌です。

3.Give Me Back My Wig//Hound Dog Taylor
ハウンドドッグが演奏するシカゴのクラブでは延々とこういうブギが繰り返されて、みんな踊り明かしていたんでしょう。めっちゃファンキーな曲です。
「オレのカツラ返せ」という歌です。ハウンドドッグはいつも帽子を被っていたと思っていたのですが、そういえばいかにもカツラと分かるチープなウィッグを被っている写真を見たことを想い出しました。それはとてもとても不自然な感じでした。
余談ですが、ハウンドドッグは左手の指が6本あります。でも、指が多いからと言っても演奏は普通の人と変わりません。

☆今回のお薦めアルバム
Hound Dog Taylor&The House Rockers/Hound Dog Taylor
(Alligatorrecords/P-ヴァイン・レコード PCD-23955)*P-ヴァイン・レコードの日本盤ではアルバムタイトルが「ハウンド・ドッグ・テイラー・ファースト」となっています。
1971年、アリゲーター・レコードのブルース・イグロア氏はそれまで務めていたデルマーク・レコードを辞めて、このアルバムを出すために自ら「アリゲーター・レーベル」を立ち上げた。彼はそれほどハウンド・ドッグのブルーズに惚れ込んでいたのです。そして、ハウンド・ドッグとハウス・ロッカーズのメンバーが、イグロア氏のその熱意に見事に応えたパワフルなブルーズの名盤がこれだ。
シカゴのサウスサイドのクラブで日頃からやっている彼等のブルーズに何も手を加えないでそのままギュッとパックしたアルバムだ。まあ、これほど強烈な個性あふれるサウンド、歌、グルーヴに余計な手を加えようもないが・・・・・。ブルーズという音楽が一体何なのかという答のひとつがこのアルバムの中にあると思います。そして、ブルーズのそのレアな実体が、1971年という黒人音楽の主流が「ニューソウル」という時代だったにもかかわらず、こうしてアルバムに記録されたことが嬉しい限りです。ハウンド・ドッグの炸裂するスライド・ギター・サウンドの洗礼をこのアルバムで受けてください。
このアルバムの後アリゲータからリリースされた73年の「Natural Boogie」、そして75年のライヴ盤「Beware Of The Dog」も素晴らしいアルバムでお薦めです。

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A-Side 2008年11月14日 ON AIR
☆Clarence  Gatemouth Brown(クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン)
あだ名がGatemouthだから直訳すると「門口」・・・つまり「大口」ということか。写真を見ると確かに口がでかい。ちなみに弟のあだ名はJames Widemoth Brown。Widemouthだから弟の口も広い、つまり大口なのか。「大口兄弟」・・・・ふたりの2ショット・写真を見るとそんな感じがしないでもない。
1924年にルイジアナ州のヴィントンというところで生まれたゲイトマウスのお父さんはローカル・ミュージシャンだったということで、小さい頃からピアノやギターには親しんでいたようです。

1.Okie Dokie Stomp
いろんな種類の音楽がミックスされた「クロスオーバー」という音楽が流行った70年代初中期に発表されたギタリスト、コーネル・デュプリー(スタッフ、キング・カーティス&キングピンズ)のソロ・アルバム「Teasin'」にこの曲が収録されていた。
同じテキサスの大先輩ゲイトマウス・ブラウンのこの曲を若き日に一生懸命練習したのだろう。デュプリーのギターはほとんどゲイトマウスと言ってよいくらいだ。
前にも言ったがテキサスには優れたブルーズマン、ギタリストが多い。
そして、この曲で聴かれるようにテキサス系のブルーズギターはアグレッシヴで躍動感にあふれている。そして、ホーン・セクションを用いたヒューストン・ジャンプと呼ばれる強烈にダンサブルなブルーズを流行らせた張本人がこのゲイトマウス・ブラウンだ。
もう、スウィング感にあふれた文句なしのブルーズ・インストルメンタルの名曲です。
ゲイトマウスはギターだけでなくヴァイオリン/ハーモニカ/ビオラ/マンドリンなどたくさんの楽器を演奏して、もちろん歌も歌うわけですが、演奏する曲もブルーズだけでなくジャズ、スタンダード、カントリーと多岐に渡ります。私個人としてはブルーズだけを聴きたいのですが、インタビューでは「オレはブルーズしかできないブルーズマンじゃないんだ。オレはアメリカン・ミュージックすべてをやってるんだ」と言い放っております。でも、どう聴いてもブルーズやっている時にいちばん本領が発揮されていると思うのですが・・・。次のスロー・ブルーズなんかもテキサス流のドライなムードが漂う素晴らしい1曲です。

2.Sad Hour
このスローブルーズなどを聴くとゲイトマウスより先に華開いたテキサス出身のT.ボーン・ウォーカーの影響をはっきりと感じるのですが、「あなたはT.ボーンの影響を受けてますよね」というインタビューに「いや、影響なんかウケてないよ。オレは誰の影響も受けていない」なんていうへそ曲がりのゲイトマウスです。
次のような豪快な曲調がいかにもゲイトマウスです。イントロと途中のギター・ソロのワイルドな感じはまさにゲイト節炸裂です。

3.Midnight Hour
こういうゲイトマウスの音楽性に影響を受けたのが同じテキサスのジョニー・ギター・ワトソン、アルバート・コリンズといったブルーズマンです。60年中頃テキサスを中心に放映されていた「ザ・ビート」というテレビ番組があり、実はそのハウスバンドのバンドマスターがゲストマウスでした。そういう番組の音楽をまかされるほどゲイトマウスは人気と実力があり、やはり後輩に与えた影響も大きいものがありました。ちなみに「ザ・ビート」はDVDとなって何巻かに渡ってリリースされていましたが入手は難しいかも知れません。

4.Ain't That Dandy
このインストルメンタル曲でも彼の素晴らしいギター・ワークが聴けます。
彼は1949年にドン・ロビーという黒人の実業家に見込まれて初レコーディングをするのですが、ドン・ロビーはなんとゲイトマウスのために「ピーコック・レコード」を創設したのです。でも、今日聴いてもらってわかったと思いますが、ゲイトマウスのブルーズにはそれだけ投資する価値が充分あったと思います。
ゲイトマウスは日本には二度やってきました。僕はボビー・ブルー・ブランドとカップリングで初来日した1978年11月に中野サンプラザで観ましたが、カウボーイ・ハットをかぶり細身で長身のゲイトマウスはとてもカッコいいブルーズマンでした。
最後にブランドとともにステージに立ちセッションしたシーンでは、同じ時代に同じレコード会社(ブランドはピーコック系列のデューク・レーベル)からデビューして、テキサスを中心に一世風靡したふたりの偉大なブルーズマンに胸が熱くなったものです。
残念ながら2005年ゲイトマウスは癌の闘病中に例のハリケーン/カトリーナの被害に遇い自宅を奪われ、そのショックで生きる気力をなくし他界しました。享年81才でした。

☆今回のお薦めアルバム
The Original Peacock Recordings/Clarence Gatemouth Brown
(ROUNDER CD2039)
まずは定番中の定番。

名盤中の名盤のこのアルバムをゲットしてください。
私がブルーズを聴き始めた頃、初めて手に入れたゲイトマウスのアルバムがイギリスのレッド・ライトニンというレーベルから出ていた「SanAntonio Ballbuster」というアルバムでした。それまで聴いていたシカゴ・ブルーズなどとまた違ったサウンドとグルーヴに買った途端に病みつきになり毎日聴いていた想い出があります。そのアルバムのほとんどがこの"The Original Peacock Recordings"に収録されています。



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